ノーミソ刺激ノート

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「頭がいいだけのやつ」がつまらない理由

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「面白い」とは「隙」(スキ)があること

頭はいいけど面白くないっていう人っているじゃないですか。

あれってなんでかというと感情を理解しようとしてるからです。

しかし感情は理解できません。

 

世の中には理解できないものがあるんです

 

じゃあ、他人の感情をどう受け止めているかというと、理解しているのではなく、そのまま「感じてる」んです。

「理解」とは「分析」「分解」すること。「分けること」です。

「そのまま感じる」とは、分解せずに「丸々受け止める」感じです。

 

「お笑い」は分析すると冷めるじゃないですか。

じゃあ何で楽しいのかというと、分析せずに「丸々受け止めている」からです。

絵も、「点と線」とみてしまえば何の味わいもありません。

 

でも、その全体性を丸々見てるから、「全体像」が見えて、「絵だ」と感じられるんです。

楽しいと感じるには、まずは分析してはいけないんです。

基礎から身につくはじめてのデッサン―形のとり方から質感まで鉛筆デッサンの基本がわかる

「分析」は隙間なく、緻密にやることが良しとされます。

つまり隙間を許しません。

しかし、面白さはその隙間にこそ、あるんです。

 

学校の問題は明確な答えがありますよね。

でもほとんどの問題は明確な答えがないんです。

何でも答えがあると思うと「スキ」がないんですよね。

 

隙が無い人って面白くないじゃないですか。 

お笑いには「間」(ま)が重要だって、お笑い芸人が言うことがありますよね。

それって「これはこういうことだ」という説明不可能な、混沌の「間」なんです。

 

逆にその面白さを説明してしまうとサメてしまいますよね。

このように、かえって面白くないというのは混沌とした何とも言えない味わいのようなものが消えてしまうからです。

 

「面白さ」は、一つは感情を分割せずにそのまま「受ける」ことです。

「どういうことだ?」と一々考えずに事実をありのままに受けるんです。

「頭のいい人」は一々分類しようとしますが、感情は分類不可能だと思った方がいいでしょう。

 

一応「喜怒哀楽」というものはありますが、それらは簡単に転ずるものです。

 

曖昧な表現で「タマムシ色」という表現がありますよね。

ここの部分は「赤」、ここは「緑」、というように、色は分析できるようで角度が変わると簡単に見方は変わってしまいます。

感情ってそんなもんだと思うんですよ。

タマムシは環境が悪いと長生きする―タマムシの飼い方

そんなことをワザワザ分析せずにタマムシそのものを感じるようなものです。

「何色の虫だ?」ではなく、「タマムシ奇麗だな」って感じ

 

「面白さ」というのは、もう一つは、人間同士の関係性をそのまま「感じる」ことです。

 

感情や関係性というのは一筋縄ではいかないものです。

分類不可、混沌なんです。

「混沌」は分割できない

中国古典の『荘子』には混沌に関する神話が残されています。

「渾沌」(字は違いますが一緒です)に対して「ここは目、ここは鼻」と分割して考えてしまうことで渾沌は渾沌ではありえなくなってしまう話です。

 

分類しないものこそが「渾沌」なんですね。

 

荘子には、目、鼻、耳、口の七孔が無い帝として、渾沌が登場する。南海の帝と北海の帝は、渾沌の恩に報いるため、渾沌の顔に七孔をあけたところ、渾沌は死んでしまったという(『荘子』内篇應帝王篇、第七)。転じて、物事に対して無理に道理をつけることを『渾沌に目口(目鼻)を空ける』と言う。

渾沌 - Wikipedia

 

世の中の訳の分からないことをそのまま受け入れることも人生には必要なんですね。

 

『論語』にも「子、怪力乱神を語らず」というのがあります。

要するに、理性で理解できないもの(怪力乱神)はそもそも語らないようにしよう、ということ。

 

論語 (岩波文庫 青202-1)

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荘子 第1冊 内篇 (岩波文庫 青 206-1)

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この「受ける」「感じる」というのは「理解」とは別の受け入れ方なんです。

 

  • 「受ける」「感じる」➔感覚的なもの。
  • 「理解」      ➔理知的なもの。

 

「感覚的なもの」と「理知的なもの」を分類するのは難しいですけど、あえてやるならこんな感じでしょうか。

 

感覚的

  • 一回性
  • 文学的
  • 宗教的

 

理知的

  • 再現性
  • 理科的
  • 科学的

 

宗教的なものは個別的な体験なので、人に説明することがなかなか難しいものです。

ですから科学者は宗教を否定しやすいんですね。

一方、科学的なものは再現性があるので、誰がやっても同じ結果になるものを良しとします。

 

つまり人間的なものを排除しておくものが真理だとします。

 

「STAP細胞」の件でも、再現性がないからこそ否定されたんです。

科学に宗教性を持って行ったら訳が分からなくなりますから、否定するのは分かります。

が、科学はあくまで価値の一つの基準でしかないんです。

「歴史」は絶対的なものではない

「頭のいい人」は、世の中のことは科学が進んだらすべて理解ができると思い込んでいる傾向があります。

 

歴史は人類の進歩の歴史だという考え方ですね。

歴史は進歩するっていうのは、皆が思いがちなことではありますが絶対的な話ではありません。

 

「未開」といわれるサバンナの民族たちの文化も「高度」と思われる「先進国」の文化も同じように価値があるという考え方があります。

レヴィ=ストロースの『野生の思考』の考え方ですね。
 

 野生の思考とは、ありあわせの素材を用いて入り用の物を作る場合(ブリコラージュ)に例えられ、器用人の思考様式と特徴づけられる。それは、眼前の事象を考える際に、その事象と別の事象との間にある関係に注目し、それと類似する関係性を持つ別の事象群を連想しつつ、それらを再構成することである。そして、それらの事象に異なる意味を与え、新しい「構造」を生み出せる。それは、理論と仮説を通じて考える科学的思考と基本的に同質なものである。両者の相違については、科学的思考が用いるものが「概念」であるのに対して、野生の思考が用いるものは「記号」である。

野生の思考 - Wikipedia

 

レヴィ=ストロース入門 (ちくま新書)

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フランス的思考 野生の思考者たちの系譜 (中公新書)

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野生の思考

野生の思考

 

 

「先進国」「後進国」(発展途上国)という考え方は、キリスト教的な「歴史」の考え方です。

スタート(アダムとイヴ)からゴール(最後の審判)までがあるんだと思い込んでいる考え方ですね。

 

しかし長い間の人類の考え方は「歴史」なんかは考えずに、ただただ、有り合わせのものを集めて編集して文化を形成してきました。「ブリコラージュ」という考え方です。

 

ブリコラージュ(Bricolage)は、「寄せ集めて自分で作る」「ものを自分で修繕する」こと。「器用仕事」とも訳される[1]。元来はフランス語で、「繕う」「ごまかす」を意味するフランス語の動詞 "bricoler" に由来する。

ブリコラージュは、理論設計図に基づいて物を作る「エンジニアリング」とは対照的なもので、その場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品として何が作れるか試行錯誤しながら、最終的に新しい物を作ることである。

ブリコラージュ - Wikipedia

 

つまり世の中には、良しとされる軸が全然別のものがあるんです。

何もこの二つだけではありませんが、簡単に言えばこういう風に分けられています。

ですから絶対に正しいものはない、ということを思わないと、とんでもない地雷を踏みかねません。

 

感情は「理解する」ものではなく「感じる」ものです。

感じるというのはそのまま受け取るという事。

一般的に頭がいいという人は、記憶力がいい人を指す場合が多いですね。

 

学校のお勉強はほとんど記憶力でどうにかなるので頭のいい人は東大に行って官僚になるというというのが、日本もそうですけど中国もまたそうなんです。

 

記憶というのは情報をそのままの形でとどめる、という事ですよね。

でも世の中のもので、「とどまる」ものはありません。

 

でも形式上、法律文なんかは留めなくてはいけません。

だから、個人情報なんかは氏名と生年月日、住所などを記載しておくんです。

 

でも人間は常に流れる存在ですからそのままの状態でいることはあり得ません

が、そうなると借金や子育てなどの社会的な責任が取れなくなりますから、情報を固定化して政治的に留めているだけなんですね。

「頭のいい人」が考えた世界「共産主義社会」

昔から頭がいい人というのは、言われたことを素直に受け入れるタチになりがちです。

ですから自分の知性でどうにかなるという感覚があるんですね。

人間の知性でどうにかなるという考え方は共産主義的なんですね。

 

「共産主義」は要するに自分たちの力で理想的な社会を作ろうという思想です。

 

共産主義(きょうさんしゅぎ、英: Communism、露: Коммунизм)とは、政治や経済分野での思想や理論、運動、政治体制のひとつ、財産の一部または全部を共同所有することで平等な社会をめざす。

共産主義 - Wikipedia

 

教育者に共産主義者が多い理由 

 

しかし実際問題ではそうは簡単にいかないので崩壊したんですね。

人間が誰でも同じように(理性的に)動くと思ったんです。しかし多くの人は感情的に動きました。

 

感情的な世界が嫌だった「頭のいい人」はその人たちにとって理想的な理性的な世界を目指すために共産主義社会を作ろうとしました。

共産主義という考え方は当時、熱狂的な一大ブームになりました。

 

それまでの感情的な世界にフラストレーションがたまっていたからこそ、世界中の頭のいい人は

「それだ!その考えこそが真理だ!」

と熱狂的になったんですね。

 

だからこそ共産主義のテーマパークであるソヴィエト連邦ができたんです。

 

これで分かると思いますが、「頭のいい人」も所詮人間なので感情で動きます。理性よりも感情のほうが大きい力を持っているからこそ、あんな大きな国まで作ってしまったんです。

 

今でも知性的な人は「人はロボットのように解析できる」と思っている、信じている人が多いです。

過去の記事でも書きましたけど私はロボットが人間と同じような感情を持つことは無いと思ってます。

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なぜなら感情とは混沌だから。

人は知性でもって秩序を明らかにしてきました。

それの作り替えで文明を築きました。

 

が、それはあくまで秩序の世界であって、混沌を作り出したわけではありません。

科学(サイエンス)というのは「分ける」という意味です。

どうして分けられるかといえば秩序立ってるからですね。

 

しかし混沌は分けたとたん無くなってしまうものです。

人間の感情はその時その時で変わるものですし、理解しきれるものではありません。

人間の歴史上、秩序を作ったことはあっても混沌は作ったことが一度もないんです。

 

ですから今後も作れないでしょう。

 

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「理解できない」を受け入れよう

「頭のいい人」というのは世の中のことを理解しようとしています。

しかし理解できないことのほうが多いんですね。これは勉強でどうにかなるのではなく実践的な生活の経験でしか得られません。

 

かと言って「頭のいい人」全員がそんな硬い考え方ではありません。

頭のいい人の代表格の養老孟司はそんな頭の固いことは言いません。

 

彼の本にもよく書いてあることですけど

「わからないことがわかる」

「わかった気になるな」

というようなことををよく書いています。

 

バカの壁 (新潮新書)

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「他人」の壁 (SB新書)

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